Λάδι Βιώσας

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米大学生:コンピューター専攻志望が30年間で最低水準

http://news.goo.ne.jp/news/infostand/it/20050425/1386912.html
欧米では、大学進学時の進路って社会情勢の影響を非常に強く受けるらしいですが、リンク先の調査結果を見るとなんだかなあとか思います。。。(英語なので読んでませんが。)

しかしこの調査結果、ダントツで物理学の人気が低いってのがなんだか笑えます。日本では理学系の学部って結構人気あると思うんですが、欧米ではそうじゃないっぽいですね。確かに、理学系の学部出ても学校の先生くらいしか職業おもいつかないしなぁ・・・。

日本では、卒業学部と就職先の関連性がそれほど高くない(医歯薬系除く)ので欧米のようにならないんでしょうな。今の学生の進路状況は知りませんが。

そう考えると、あまり先の事考えずに好きな進路を選べる日本は良いよなあ、とか思ったりしますが、同時に、社会にでて殆ど役に立たない学問を大学進学時にうっかり選びがち、&IT企業においては、入社してプログラミングの勉強しながら開発→デスマーチ頻発、等の遠因になってるよなあとも思います。

という感じで、タイトルと日記の内容が全然関係ない上、朝生並にオチがありませんがまとめると、日本ではそんなにコンピューター人気が衰えてるように感じないんですけど、あと5年後くらいにはこんな感じになるんですかね。なんかイヤーンな感じ。

アミバ様 (後編)

アミバ様を尊敬していると言った自分ですが「それってなんかおかしいよなぁ」という自覚はあります。そのおかしさはとは、2点あります。

一つ目は、アミバ様の特徴です。同じ「様」なのにアンソニーアミバ様は、見た目から内面から死にかたにいたるまで、全く逆の性質を持っているという点です。

二つ目は、自分はヨン様に対してムカつく理由を理解していながら、それを解消させる手段(記号化された概念の共有)を拒んでいて、似たような別の概念(アミバ様)を受け入れている点です。

これらからわかることは、自分は「ヨン様」という概念を受け入れたくないあまりに、ヨン様のイメージとは全く逆の別の概念(非道で悪人な人物を「様」と崇める)を作り出し、それをもって爽やかなナニナニ「様」に対抗しているのだ、と言えます。

これは、ヨン様に対する自我防衛本能が働いた結果なのです。自我防衛本能の反動形成(一つ目)と代償(二つ目)が起きているのです。僕がとんでもない悪人のアミバ様を好いてるからと言って変人扱いしてはいけません。僕やアミバ様は悪くないんです。ヨン様が全部わるいんだぁ〜!(逆切れ)

しかし、これらはあくまで自己分析なので「そんなこと思ってるのはアンタだけだろ」と言われてしまうと反論できません。さらに「オレはヨン様好きだけど、アミバ様も好きだよ?」とか「そもそもアミバ様は、ヨン様より昔からいる人物じゃん」とか、この理屈にはいまいち穴があるのが目立ちます。ちっ、ここまで屁理屈こねたのに無駄骨かよ。。。くそう。。。

「・・・逆転よ!」え?「発想を逆転するのよ、ナルホドくん!」

そんなわけで、発想を逆転してみます。

アミバ様 (前編)

先日の日記で、ヨン様は何故「様」なのかという話はとりあえず結論が出ました。しかし、それと同時に新たな疑問が出てきました。

それは「アミバ様」です。

これはハート様などに置き換えてもらってかまいません。むろんヒューマンガス様でもジャギ様でもオッケーです。アミバ様を知らない人はあまりいないと思いますが、北斗の拳という漫画の登場人物です。覚えていない人は、このあたりを読むとちょうど出てきます。

さて、アミバ様の「様」ですが、ヨン様の「様」とは明らかに違うように感じます。ヨン様には違和感を感じる自分ですが、アミバ様には全く感じません。前回の話でキャラクターの記号化云々という話をしましたが、自分の中で、アミバ様に対してどういうメカニズムが働いているのかを検証してみようと思います。

まず、アミバ様のキャラクター像をあげます。

  • 周囲の人間に恐れられている
  • 悪人面
  • 残酷・冷酷
  • 卑怯・臆病
  • 足掻いた上に格好悪く死ぬ

といった所でしょうか。

作中でアミバ様が「様」である所以は、アミバ様と呼ばないと何をされるかわからない恐怖感からです。漫画中の登場人物はアミバ様を尊敬なんてしていません。しかし、自分が「アミバ様」と口にするときの感情を探ってみると、ほのかな尊敬の念すら感じられます。

「あんた頭おかしいよ」と言われそうですが、抑えてください。つづきます

アンソニー幻影論 (後編)

キャンディーキャンディーは少女漫画の王道と言っていい作品でしょうか。アンソニーの表面的な特徴は、爽やかで優しそうでお坊ちゃん風といった感じです。作中では、丘の上の王子様、とも呼ばれていました。

ヨン様人気を支えていると言われる世の中年女性の多くは、恐らく幼少の頃に"キャンディーはアンソニー以外の男にアンソニーの幻影を見てしまう"という経験をこのような作品を通して追体験をしており、この為、彼女達は、アンソニーという記号化されたイメージに合致する現実の人物にアンソニーの幻影を見てしまい、無意識のうちに「様」を付けるのです。

また、少女漫画や恋愛作品などをたくさん読んでいる女性は、「様」と呼ぶに相応しいさまざまな人物パターンの記号化が多くなされているはずです。

この作業を繰り返すことにより、ベッカム杉良太郎も、"ベッカム様"や"杉様"になりえます。これらは、男性でいうところの「萌え」という概念を構築する作業に似ています。「萌え」についての説明は省きますが、その道のマニアにしかわからない記号化された概念に対して反応する、という点で「萌え」も「何々様」も全く同じです。

すなわち、「小学生の妹萌え〜」と「ヨン様ベッカム様〜」は同類なのです。激しく反論されそうな気がしますが同じです。間違いないです。なんだかヨン様にムカついてる理由が分かった気がします。

これらに対してムカついたりキモイと思うのは、彼(彼女)らの記号化された概念を共有できていない疎外感から来るもので、それは当然です。しかし、一度共有できてしまえばそういった感情は消えるでしょう。

いくら疎外感を感じたとしても、共有なんてしたくないですけどね。

アンソニー幻影論 (前編)

2004/09/08のネタについてもう少し考えてみました。

なぁ〜にがヨン様だよ!!と憤慨している男が世の中に多くいようとも、あちこちのメディアで何々様という文字を見かける回数は減らないわけで、

“何故「様」なんだ?”

という疑問は消えません。

この問題について考えているうちに、何々様と言っている人達は、「対象の人を通して、誰か違う人物が見えているのではないか」という仮説に辿り着きました。これと似た現象なら記憶にあります。それは1970年代の少女漫画キャンディーキャンディーという作品においてです。

読んだことのない人の為にこの漫画について軽く説明すると、どっかから拾われてきた娘である主人公キャンディーは、ロックフェラー並みの大財閥であるアードレー一族ブラウン家の一人息子、アンソニーと淡い恋仲に落ちます。

しかしアンソニーはきつね狩りの際に落馬してあっさり死んでしまい、その後キャンディーはアンソニーの幻影を追い続けるようになります。

後半、長くて濃い話になるので明日にまわします。つづく

サマー

夏、でも、ガイルの対空技、のことでもありません。「様」の話です。本来「様」は、尊敬する人や目上の人に対して使われる言葉のはずです。

しかし、昨今の外タレ「様」付けブームをみると、本来の意味とは違った用法で使われている例が目立ちます。

そこで少々不安になりました。

情報が多種多様化している現代において、いつの間にか「様」という言葉の意味が変化していて自分だけそれに気付いていないんじゃないか、と。

そんなわけで調査してみました。

ええと、どうやら杞憂だったようです。

ヨン様とイジリー岡田とハリーポッターと私

(※注:ぺヨンなんとかって人についての文章ではありません)

共通する要素を持っている単語を列挙する時、「と」という助詞でそれぞれを繋げるわけですが、なんとか〜となんとか〜となんとか〜、まで言うと最後に、と私〜、で締めくくりたくなりませんか??僕はなります。

そんな自分ですが、先日テレビを見ていると懐メロ特集みたいなのをやってて、その番組中で平松愛理の「部屋とYシャツと私」が紹介されてたんですよ。

一言言いたい、ちょっとまってくれ!と。

懐メロって言ったら、久保田早紀の異邦人とか、太田裕美木綿のハンカチーフとか。。。そういうのを言うんであって、この曲は全然懐メロじゃない!!

「いや、じゅうぶん懐メロでしょ。」という皆の声が聞こえてきそうですが、僕にはまったく納得できません。まったくです。

懐メロじゃなくて、年代物メロディーとか90年代ポップスとか呼んで欲しいものです。